発達障害もち薬剤師の随想録

発達障害を併発する薬剤師である筆者が、ADHD気質からの多くの経験から思う事をASD気質で書くブログです

旅は枝垂れ桜とともに

ややこしいテーマが続いたので閑話休題

 

あれは北海道の洞爺湖のホテルで住み込みで働いていた時だったが、とにかく多忙を極めていた。

 

ホテル内の各場所の説明中に、ここから先の倉庫は「出る」ので、絶対に行かないでくださいと社員に釘を刺されたこともある。女性の霊らしく、目撃証言が多数あるとのことだった。この手の怪談話は私が住み込みをやったほとんどの場所で存在し、中には寮の部屋中に無数の御札が貼られていた場所もあったので決して珍しいことではない。

 

朝は6:00に「朝食を済ませて」集合であり、夜は23時過ぎまでそれこそ休憩なしで働いた。ホテル自慢のお客さん用の大浴場に入れたことだけは良かったが、豚のエサのような粗末な食事に、薄い敷布団一枚を石でできたカチカチの冷たい床に敷いてペラペラの掛け布団で眠る日々が続き、さながら小林多喜二蟹工船や開拓時代の北海道の過酷なトンネル工事で有名なタコ部屋労働を思わせる光景がそこにあった。

 

そんな日々での唯一の楽しみは休み、もしくは中抜けと呼ばれる朝と夜のシフトの間の長い昼の間の休憩時に観光をすることであった。ちなみに私も含め多くの人の場合は体力温存のため、次第にこの昼間は寝て過ごすようになるのだが。

 

近くを散策しているとクラシックカーの展示場を見つけた。店番の女性に聞くと隣の伊達市に会社をもつオーナーが最近オープンしたばかりらしく、戦前の車なども展示してあると言う。

 

好奇心も相まって中を見学していくことにした。黒光りのキャデラックは現代でも通用しそうな非常に重厚な作りであり、解説を見れば太平洋戦争開戦より数年も前の1930年代の製造と来ている。とんでもない工業力を持つ国を相手に戦争をしてしまったのだと深く考えこんでしまった。

 

クラシックカーは初めて見るので興味が尽きず、ずっと車ばかり見ていたのだがふと壁の方を見やると額装された絵画も展示してあった。これも例のオーナーの所有らしい。興味深い絵もあったので、描いた画家の名前を探そうとしたが見つからず、その時は「ああ、絵も展示してあるんだな」と思っただけであった。

 

ある時ついに体調を崩した。当然、と言えば当然である。当時は国家資格こそ有していたものの、漢方については無知同然であり為す術もなく悪化していった。不思議なことに熱以外の症状はなかったもののあまりの高熱にうなされ、どうにもならなくなっていたのだが、如何せんゴールデンウィークの真っ最中で開いている病院がない。夜間休日診療を行っている病院を探すと、近隣の病院は全滅でなんと隣の伊達市まで行かないといけない。15kmは離れているのでタクシーも厳しい。

 

伊達市街に行けるバスが寮の近くの停留所から出ていることは知っていたので、これに乗って遠く離れた伊達市まで行くことにした。

 

北海道在住経験はあるものの、道北に近い場所に住んでいたのでこの辺りには全く馴染みがないのだが、伊達市の名前だけは知っていた。北海道在住時代、かつてお世話になった方が私の退職後にも親身になってくださり、別れ際に「伊達の桃なんだけど、よかったら食べて」と桃を渡されて嬉しくて涙が止まらず、車が見えなくなるまで最敬礼で見送った思い出が伊達市の名前を聞くたびに蘇る。

 

高熱で頭がフラフラしていて意識が朦朧としている中でバスに揺られること30分以上は過ぎただろうか、やっとの思いで伊達市内の目的地に着くと不思議なことに少しずつ元気になってきたのである。病院内で待っている間にどんどん元気になっていき、インフルエンザの検査をする頃には症状など消えていて逆に困ってしまった。インフルエンザは陰性ですと伝えてきた医師は見るからに当直明けで、裸足にサンダル履きのその姿はいかにも今しがた手術を終えてきたばかりのような放心状態で目が泳いでおり、会話のテンポが常に少し遅れていて明らかに私よりも大変そうであった。

 

すっかり元気になっていた私はせっかく伊達市まで来たのだから、ひとつ観光でもしていこうと近場の開拓記念館に寄っていくことにした。

 

もともと伊達市はその名の通り、有名な伊達氏が関係している。本家ではなく仙台伊達氏の分家であり戊辰の役の敗戦のあおりを受け当地で領民を養うことが難しくなり、北海道のこの地に藩主自らも赴き開拓に勤しんだ歴史があるという。敷地内の建物には明治を思わせる西洋風の造りの迎賓館もあり中も見学させてもらったが、昔はこのスペースに武者隠しがあったのだと教えてもらい、さすがは武家だと驚いてしまった。

 

外を散策していると大きく立派な枝垂れ桜が満開であった。樹齢はゆうに100年を超えているだろう。そして少し離れた場所から改めて見ようと遠のいた時にハッと驚いた。

 

洞爺湖クラシックカー展示場の壁に掛かっていた、一枚の絵画を思い出したのである。

 

満開の枝垂れ桜がそこにある、作者も桜の場所の情報もない文字通り無名の作品であった。立派な額装もなく、決して大きなキャンバスでもない非常に目立たない作品であったので逆によく覚えていた。

 

あの絵画はまさにこの枝垂れ桜を描いたものだと、心の底から確信させる不思議な感覚がそこにあった。

 

すっかり元気になって帰ったわけであるが、今から考えても本当に不思議な経験であった。

 

北陸地方に住んでいた時の家の庭にも枝垂れ桜があった。北陸は伝統的に家が非常に大きく一階はふすまを抜けば田の字構造になっており、数十人が一堂に会して宴会できる場所が瞬時に出来上がる。それこそ軽トラックが一周できるような広い庭まである。

 

その広い庭では秋になると渋柿の実が生り、ウイスキーなどにヘタを浸して袋に入れて口を縛り1週間程度置けば渋が抜けて食べ頃になる。非常に甘くて美味しく食べすぎて体調を崩しかけたほどであったが、これは隣に立派な枝垂れ桜が植わっており、その大量の落ち葉が長年蓄積して良質な土を形成しているからだろうと考えている。

 

思えば枝垂れ桜とともに旅をしてきたようなものだと、不思議な縁を感じずにはいられない。

 

(おわり)

 

※おことわり※

熱を出したからといって、文中の桜の木を見に行けば下がるというものではありません。あしからず。