発達障害もち薬剤師の随想録

発達障害を併発する薬剤師である筆者が、ADHD気質からの多くの経験から思う事をASD気質で書くブログです

闇の再試験

ペーパークラフトの次に模型製作に取り組んでいる影響でエネルギーを大幅にこちらに削がれているため更新頻度がかなり落ちていますが、引き続き継続していきたいと思います。いつもお読み頂いている皆様には本当に感謝しております。これも発達障害の特性ということでご理解頂ければ幸いです。

 

薬学部で学べる学問の中で、これはやっていてよかったと思える物は何かと聞かれたら、それは薬物動態学だと即答する。社会人になっても一番、応用が効く学問であると実感する。

 

例えばブドウ糖は小腸を起点に3つの運び屋を通して脳まで運ばれる。人間の細胞膜の構造的に油に溶けやすいものは吸収されやすく、水に溶けやすいものは吸収されにくいという特徴がある。人間の脳の唯一のエネルギー源であるブドウ糖でさえ、3つの運び屋を介さないと脳まで到達できない状況を考えると、例えば目に優しいと称して目薬にブドウ糖が入っていても少なくとも目からはまず吸収されないということは当たり前のようにわかる。

 

また最初の運び屋にはブドウ糖とナトリウムを一緒に運ぶ必要があるという特徴がある。要するにブドウ糖単独では吸収されないので塩が必要ということになる。ぜんざいに入っているひとつまみの塩、甘味処で甘いものと一緒に出される漬物や塩昆布の類は非常に理に適っているということになるが、薬物動態学など知る由もなかった時代の人の経験則には驚かされる。

 

製薬会社が発行する医療従事者向けの添付文書を読むために必要な「国語」のようなものが、この薬物動態学でもある。例えば「果物のジュースと一緒に飲まないでくださいね」と服薬指導できるのは、添付文書に果物のジュースと飲まないでと書かれているわけではなく、「本剤はOATPsの基質である」という専門用語が並ぶ一文を、薬物動態学を学んできた薬剤師が読み取って解釈し、患者さんにわかりやすく説明している。

 

そしてこの薬物動態学の当時の担当教授が一癖も二癖もある人物であった。

 

この業界では有名らしく分厚い教科書も自筆であり、試験が非常に難しいことでも有名でこの人のために留年して涙をのんだ者は数しれず、かつては愛車をひっくり返されたり高級車のエンブレムをへし折られたこともあったらしいと先輩から聞いていた。

 

薬物動態学の講義中のことであったが、「私は試験前は車で来ない、電車で来る。しかし、絶対に列の一番前に立たない。それは突き飛ばされるリスクがあるから。列に並ぶ時は一番前を避けて両足を踏ん張って立っている。」と真顔で淡々と語っていたことが印象的であった。もっとも、ホームドアの設置が当たり前になった現代ではこの様相は伝わりにくいかもしれない。

 

私が通っていた大学は全科目必修であり、落としていい単位など存在しなかった。それ故に毎年全ての単位を取得する必要があり、落とせば即座に留年が確定するため試験前は普段はチャラチャラしている者でさえ皆、文字通り命がけであった。

 

本試験に落ちると再試験になる。しかし本試験と違って有料であり1000円の証紙を券売機で購入して解答用紙に貼り付ける必要があった。再試験前になると行列が出来てまるでラーメン屋の券売機のように、野口英世が次々と吸い込まれていく光景が風物詩となっていた。この再試験にも落ちると来年度に持ち越しとなるが持ち越せるのは5科目までであり、6科目の再試験に落ちると留年が確定することになる。

 

経験上、持ち越しが可能であると言っても翌年の再試験で必ず合格点を取る必要がある上に、その学年の授業があるために前学年の授業は受けることができず再試験一発勝負になるため、2科目を持ち越すのが精一杯であった。

 

3年生前期の時に昨年度の2科目を持ち越した再試験を受験したが、ご多分に漏れず薬物動態学の持ち越し再試験で合格点に届かなかったらしく担当教授から呼び出しがかかった。

 

私はそんなはずは無いと思ったのだが、最初の設問の計算で計算過程も記していて合っているのになぜか数値が0.02ほど正答と微妙に違っており、センター試験の数学ⅠA同様に最初の設問を誤ると芋づる式に全滅するパターンと同じで私の答案も採点の赤ペンが全てがバツではなく三角とされていて、教授がどうにか部分点を与えて救済しようとした形跡はあるが、それでも合格点に届かなかったらしい。

 

呼び出された者はまず、満点の解答用紙と比較されて徹底的にこき下ろされる。名前も隠されていないので有名な、卒業式では総代まで務めた学年トップの子のものであるとわかる。これは成績優秀な子の解答用紙だが完璧なものだ。しかし、お前の(本当にお前、と言われる)解答用紙を見てみろ、こんな解答用紙で恥ずかしくないのかと今なら間違いなく何とかハラスメントで訴えられる事案であるが、教授は時代に救われていたようである。

 

20分程度、延々とこういう何とかハラスメントが続いた後に

 

「8月何日、何時から何教室で再試験をする。証紙は買わなくていい。救うつもりはないから。わかったな、しっかり勉強してこい」

 

と言われたが、これは本来なら一発で留年が確定しているところである。

 

私の大学には闇の再試験こと、闇再と言われる試験が存在するらしいことがまことしやかに言われていたが、本当に存在するとは思っていなかったので当事者となった身として、これは助かったと思った。権力のある教授だけができることであり、それもこの一癖も二癖もある教授だけが行っているようであった。

 

再試験の解答用紙をもらったかコピーさせてもらったのか失念したが、なぜ計算が食い違っているかをまず検証した。関数電卓の持ち込みが許可されており、関数電卓を弾いているので間違うはずがないのである。検証の結果、カッコ()が一重になっており、((e-0.345乗...))と二重カッコにすると計算が合うことが判明した。あろうことか関数電卓の使い方を誤っていた。カッコを一重にするか二重にするかで大きく数値が変わってくれていればこんなことにならずに済んだのだが、原因が判明した以上、これで留年は免れそうだと少し安心した。

 

指定された日に教室に出向くと、私以外に何人も受験者がいた。皆、延々と続く何とかハラスメントに耐えてこの日を迎えている。教授は

 

「君ら、何度も言っているが救う気はないから。終わりの時間は決めていない。また来る。始めろ。」とだけ言って去っていった。

 

問題用紙を見ると、なんと引っ掛け問題であった。最初の計算に使う数値を微妙に変える必要があり、私は即座に気づいたが気づかなければ留年である。

 

20分くらいで教授がやってきて「もっと時間の欲しい人は手を挙げろ」と聞くので全員が手を挙げると「また来る」と言って小走りでそそくさと出ていくのだが、せわしないことこの上ない。

 

開始から50分ほどして再び現れてぐるっと周囲を見渡して「もう、いいだろう。はい回収。」と声を掛けて試験が終了した。

 

結果として私は留年を免れて救済されたわけであるが、引っ掛け問題を見抜けなかった数名が犠牲になったようであった。クセが強くて口の悪い教授だったが、どこか茶目っ気があってなぜか学生からは人気があった人物であった。

 

彼の訃報を聞いたのは数年前、社会人になって30歳を過ぎた頃であり、情報源の同窓会報によると70台前半という若さであった。もちろん病没であったが、闇再のことなど様々な記憶が蘇ってきて、あの大学ではもう二度このような人物が現れることはないだろうと思うと、不思議なことにどこか寂しい気持ちにもなった。

 

今は何とかハラスメントもかなり減ってきていて良い時代になっている感覚はあるが、とかく規則に厳しい、ちょっとした行為や一言二言の誤りでも叩かれてしまう非常にやりづらい時代になってしまったと感じる。

 

これと同時に人情というか、多少は規則を外れることはあっても何かを許容するということもあまり見られなくなってしまった気もする。なるほどクセの強い人は例えるとすれば嫌いな人が多い強い味の飲み物かもしれないが、好きな人もいる。それに比べて蒸留水は一見するとクリアで美しいようであるが、味もニオイもしないので好きな人も嫌いな人もいない。

 

水清ければ魚棲まずとも言う。何とかハラスメントが減ってきていることは大歓迎であるが、あまり規則にこだわりすぎずにもう少し、例えば失敗に対して厳しくしすぎないような、物事を許容していくようであってもいいのではないかと思えてならない。

 

(おわり)