発達障害もち薬剤師の随想録

発達障害を併発する薬剤師である筆者が、ADHD気質からの多くの経験から思う事をASD気質で書くブログです

紙芝居のオッチャン

ある鉄道系YouTuberの方がメインの交通系以外にも旅行系チャンネルも有しており、この動画も好きでよく見るのだが門司港周辺が紹介されていた。若くして幅広い知識と教養を感じられる動画が特徴であり、九州の鉄道路線の起点ということもあって門司港近辺が幾度も紹介されていたので、唐突にある人物のことを思い出してしまった。

 

「紙芝居のオッチャン」である。

 

北九州に用があり時間のついでに門司港を散策していた。風格があり歴史的にも価値のある駅舎が有名な門司港駅は当時はまだ保存工事の最中にあり、残念ながらその全貌を見ることは叶わなかった。そんな中、人力車の行き交う門司港駅前でオッチャンに「にーちゃん、紙芝居見ていかないか?」と声を掛けられた。不審を抱くよりも商売としての紙芝居など見たこともなかったので面白そうだという好奇心が圧倒的に勝り、話に乗ることにした。

 

紙芝居といえば水飴、らしいのだが、いかんせん強い北風吹きすさぶ真冬の折で水飴があろうことかカチカチに固まっており巻き上げるための割箸がボキッと折れるほどであった。100円玉を渡し、何とか気合ですくい取ってもらった折れた割り箸に巻き付いているカチカチの水飴を片手に黄金バットだったかこれまた年季の入った紙芝居を使って芝居が始まるのだが、始まるやいなや「おねーちゃん、紙芝居どう?」と通行人への勧誘も同時並行で行うため芝居がなかなか先に進まない。それでも私を含めて数名が紙芝居を楽しんでいた。

 

紙芝居の内容はというと、申し訳無いが全く覚えていない。ではなぜオッチャンのことを強く記憶しているかというと紙芝居以外の話がかなり面白かったからである。

 

話し込んでいて何が面白かったかというとオッチャンの生き様であった。オレは紙芝居一つで子供を全員大学にやったなど色んな話を聞かせてもらった。

 

聞けば普段は近くの、宮本武蔵佐々木小次郎の決闘で有名な巌流島(正式には「船島」と言うらしい)で紙芝居をやっているが、今日の様に天気が悪い日などはこうして門司港近辺で活動しているという。こういうのも何かの巡り合わせなのだろう。

 

折しも寒波の影響で北風が強くて雪も混じっているせいか出歩く観光客もほとんどおらず、紙芝居も商売上がったりのようであったので私が温かい缶コーヒーを2つ買ってきて話し込んでいたのだが、オッチャンの力強い生き様は聞いていて飽きるものがなく、紙芝居以上に興味深くて得られるものが大きかった。

 

商売の邪魔になるので一例だけを紹介すると、昔、オレはマッキンリーに登ったことがあるんだと語り始める。嘘か本当かわからないあたりもまた面白い。それもアメリカ陸軍特殊部隊グリーンベレーの元隊員らと登ったのだと言う。

 

オッチャン曰く「彼ら(グリーンベレー)の凄いところは何事も全体力を使わずに必ず7割の体力でやるんだ。そうすれば仮に仲間が途中で倒れて担いで行くことになったとしても、残しておいた3割の体力があれば何とか仲間を担いで行動を継続できる。しかし、全体力を使ってしまっていれば仲間を担いで帰ろうにも体力が持たずに、二人とも行き倒れてしまう。だから何事も体力に余力を残して活動するんだ」

 

真偽の程は定かではない。しかし随分と含蓄のある話ではないか。逆に言えば、6000mを越えるマッキンリーの登山を7割の体力でやれるくらいに、普段から相当なまでに鍛えている人だけが言える言葉なのだろうとも思った。

 

ちなみに、ものすごく気になったので質問したのだが、オッチャンは「オレはもちろん全体力を使ったよ! そうしたら彼らに注意されたんだ」と話してくれたのであった。

 

にーちゃん元気でなと別れたきりであるが、オッチャンは元気にしているのかふと気になって調べてみると、なんと情報があるではないか!

 

「紙芝居のオジサンに注意」と。

 

口コミによると紙芝居のオジサンに話しかけられたら無視しようとか、観光地の質の低下などとひどい書かれ方をしているものもある。もちろん好印象の意見もあるのだが。

 

しかし、無視しようとは何を言っているんだと思う。たかだか100円であり、そもそも今どき紙芝居などやっている人が国内でどれだけいるかという話である。絶滅危惧種の伝統的紙芝居を100円で見られたら、それこそ旅の良い思い出になると私は考えるのだが、時代は変わってしまったのだろうか。

 

以前、大阪に観光で行ったときに大阪市内にして、新世界という昭和から時間がそのまま止まったような場所で串カツを友人と堪能したのだが、いかにもという風体の、地元のディープなオッチャンに話しかけられたり、無愛想な店員の態度もまたアングラ感が満載で、日本にもまだこんな場所が残っていたのかと感心したほどである。

 

例の如く口コミを見ると「接客がなっていない」という口コミが一定数ある。インターネットの口コミは日本全国津々浦々、昔は秘境や穴場と言われた場所にまで存在し、これらによって秘境は秘境でなくなり、地元の人くらいしか知らない穴場と呼ばれる場所にまで人が押し寄せる時代になってしまった。

 

日本人はとかく接客にうるさい。しかも大阪の、よりによって新世界で接客を求めるとはおかしな話であり、東京の銀座ならまだしも全国一律にそれなりに高いレベルの接客を求めるあたり無謀な行為である。

 

最近は人が随分と他人に厳しくなっていて、私が学生のときには政治家や芸能人といった有名人の特権であった炎上という言葉が我々一般人にまで降りてきていて、一言二言に気をつけないと無名の人間でさえ叩かれてしまう。

 

その代わりと言ってはなんだが、ほんの数年前には皆が当たり前のように我慢を強いられていたパワハラやセクハラといった理不尽な発言や行為も咎められるようになり、それなりに生きやすい世の中に変わってきたようではある。

 

しかし、どうにも心のゆとりがなく急ぎ、効率を追求しすぎているのではないだろうか。自分でそう言いながら、Amazonで当日や翌日配送のお急ぎ便を選択する自分がいるわけであり複雑な気持ちになる。もう少し、間を楽しむというか心のゆとりを持ったらどうかと、紙芝居のオッチャンが教えてくれているような気がしてならない。

 

(おわり)