発達障害もち薬剤師の随想録

発達障害を併発する薬剤師である筆者が、ADHD気質からの多くの経験から思う事をASD気質で書くブログです

人生はペーパークラフトだ!?

「かんたん」と表記のある鉄道のペーパークラフトが手に入ったので、面白そうだと思って久々に作ってみると、意外と難しくて1日がかりで何とか仕上げたものの、設計者は一体何をもって「かんたん」と書いてしまったのか未だに謎である。

 

私がペーパークラフトと出会ったのは、最初に勤めた北海道の会社でのインターンシップの時だった。

 

自分の熱い思いを9枚の便箋に手書きで綴り、講演会でもらった名刺に書いてある住所宛にこの手紙に加えて好きな映画のDVD(炭鉱の町の出身から努力してNASAのエンジニアになった人の実話を基にした「遠い空の向こうに」だったと思う)や難しい折り紙(ものづくりの会社なので手先の器用さのPR)をいくつか折ったものをレターパックプラスに同封して送付し、インターンシップにおいでと言われて卒業式の翌日、ライオンがトレードマークの某高級ホテルでの大学の謝恩会を欠席して単身、まだ雪深く残る北海道の大地に足を踏み入れたのはかれこれ10年近く前になる。

 

まず驚いたのはその寒さであった。内地ではもう桜が咲こうかという時に、私を出迎えてくれたのは低くたちこめる鉛色の空だった。駅のホームは屋根の下であっても猛烈な吹雪の雪が溜まったものが昼間でも凍結しており、静けさと寒さが混じり合った結果として寂しさを感じるほどに、のどかな春の内地とは何もかもが違っていた。今頃、同期達はお世話になった先生たちと豪華な装飾の温かい室内でグラスを酌み交わし歓談しているであろう姿が頭をよぎったかもしれないが、雪の中で満足に車輪が動かない、飛行機の無料の積載量いっぱいまで詰め込んだスーツケースと、何を血迷ったのかギターのハードケースまで持参していたことに加えて、歩道が除雪された雪で埋め尽くされていて歩けないので車道を歩くため、とにかく車に轢かれないことに必死でそれどころではなかった記憶の方が強い。

 

次の日、遅刻がないようにと前日に何度も時刻表を確かめた会社最寄りのバス停に降り立ってからまずやったことはというと、事務所が既に見えている、まさに目と鼻の先にあるこれから2週間も世話になる会社に電話をしたことである。あまりに雪が深すぎて、いったいどこから入っていいのか見当もつかなかったのであった。後で知ったことだが、この地域は積雪量があまりに多いので単なる豪雪地帯ではなく「特別豪雪地帯」になっているという。

 

ぐるっと回ってこいと言われ、雪が深くていよいよスーツケースが走行不能になったのでギターケース共々持ち上げ、事務所に何とか辿り着くと同じくインターンシップの参加者が二人いた。彼らも私と同じ20代での若者であり、この3人で会社にある宿泊施設の一室を借りて自炊の共同生活を送りつつ、2週間のインターンシップを行っていくのである。

 

会社の敷地内にある宿泊施設にはキッチンもあり、冷蔵庫や炊飯器からガスレンジに鍋釜まで一通り揃っていた。我々は大きな期待をもって冷蔵庫を開けたのだが、あろうことかビールとチーズとわさびのチューブと小さな醤油のボトルしか入っていなかった。どうにも酒飲みの共同研究者が置いていったものらしい。

 

当然のごとく、まずすべきことは食料の買い出しである。会社の周りはというと約10キロ四方にコンビニやスーパーが存在しない。しかも車の運転免許の保有者が私だけであり、外は雪が積もっていたり凍結していたりする正真正銘雪国の、それも真冬の北海道の冬道である。車は自由に使っていいよと言われたものの雪道の運転経験など当然ない。仕方がないので広い敷地内の積雪地帯で何分か練習して癖を掴み、私が運転手を務めることになったが北海道の冬は内地とは比べ物にならない厳しさであり期間中、買い出しや温泉に出かける度に視界が1メートルほどしかない猛吹雪やブレーキの効かない凍結路で幾度冷や汗をかいたかわからなかった。

 

次の日、「昨日の晩は何を食べたの?」と聞かれた我々は口を揃えて「カレーです!」と答えると、「まあ、そうなるよね」と皆笑っていた。

 

インターンシップの内容は詳しくは書けないので省略するが、ある日我々3人は、経営者から「ペーパークラフト」を作ってみないか?と誘いを受けた。本当に気軽な誘いであったので遊び半分、それは面白そうだと事務所の一室でロケットのペーパークラフトを作ることにした。60cm以上はあろうかという、紙製とはいえ火薬のエンジンを積めばしっかりと飛ぶように設計されているロケットである。作ったものは期間内に仕上がったら最終日あたりに飛ばそうということになった。

 

ペーパークラフトは本物と同じ構造だから、ペーパークラフトを作ることができたら本物も作れてしまうというのが経営者の口癖であった。私はペーパークラフトなど作ったこともなかったが、当時はまだADHDの気が強かったとはいえ元よりそれなりに凝り性な性格なので、簡単そうで難しいペーパークラフトに四苦八苦しつつも、これが飛ぶのかという好奇心も相俟って就業後も道具一式を宿泊施設の自室に持ち込み、スーツケースを倒して机にしてせっせこ作っていた。

 

ペーパークラフトの鬼門はなんと言っても真円やパーツの内側など曲線、細部のカットと接着全般であると素人ながら思う。特に小さく組み上げた物同士を接着して大きくしていく時に必ずズレてくるのでいかに修正するか都度考えなければならず、工作外のことで意外と時間を取られる。そのため安い道具を使うと作業効率や出来栄えに大きく、それもマイナスの方向に影響してくることは間違いない。そのため使っている道具一式をまじまじと眺めて、他と何が違うかを確認していた。経営者は「道具は良い道具を使え」といつも言っていた記憶が残っている。

 

例えばボンドはエチレン酢酸ビニル樹脂の入ったものを使っており、初めて目にしたのと薬学部だけあって有機化学にはうるさいせいかよく覚えていた。ランニングシューズの衝撃を吸収するミッドソール素材EVAとはこれの発泡体である。通常の木工用ボンドは酢酸ビニル樹脂が主成分であり乾くまで非常に時間がかかるものだが、こちらはエチレンが関係しているのか本当に乾きが速く、あっという間に硬くなっていくので作業の時間が短縮でき、もはや瞬間接着剤レベルであり本当に同じボンドなのかと感心していた。ただ、その分だけ長く伸ばす行為が難しく、私の場合は今では半分程度使った容器にスポイトで水を吸わせて薄めたものと原液を分けて使用している。

 

切り出しは基本的にアートナイフやカッターナイフなどのナイフ類で行うため、これらの質が非常に重要になってくる。薄刃は切れ味が鋭く処理もしやすいが刃がダメになりやすく、持ち方一つ、刃の引き方一つに気を遣う。刃の角度が30°か32°か、それだけでも使い勝手が大きく変わる。もちろん、その下に敷くマットの質で刃の持ちが変わってくるので意外と重要である。

 

直線部であっても、いかに真っ直ぐ切り出すか、どこから刃を入れるべきかなどを図面とにらめっこしながら都度考えていかねばならず、自然と段取り力や想像力が鍛えられていく。

 

万が一失敗すれば、いかにリカバリーをするかを考える必要がある。そのため部品を切り取った後の用紙の余白も迂闊に捨ててはいけないとわかる。用紙の両サイドが機械カットで正確なため、余白は貴重な補修パーツに変身するのだから。

 

全体に丸みをつける時はどういう道具を使って、いかに自然に丸みを出すか、曲線部のカットでいかにナイフを効率よくうまく動かすか、指の入りにくい箇所の接着をいかに上手く行うか、この過程ではどういう道具を用意すべきか、貼り合わせたものがボンドの水分で波打たないよう、平たくするために翌日まで重しを載せてプレスをする必要があるから今のうちに仕込みをしようなど製作過程で思考が止まることはなく、ずっと頭を使い続けるということになる。乾燥時間などを含めると短時間で仕上げることは困難に近く、堪え性も身につくので脳トレをしたいというのなら、ペーパークラフトが良い教材になってくれるのではなかろうか。

 

最終日、私たちのロケットにはC型エンジンというライセンスの必要な大きな火薬エンジンを実装して飛ばすことになった。何でも少し小型のB型エンジンの在庫がなかったようで、しかもC型は今回が初めてになるという。経営者はもちろんライセンス持ちであり、風もほとんどなく、幸いにして雪は止んでいて晴れてこそいないものの絶好の打ち上げ条件が揃っていた。

 

カメラの三脚を改造した特製のロケット発射装置に私の紙製ロケットを垂直に設置し、カウントダウンとともに電気式の点火スイッチを押すと、

 

「バシュゴォーーーーッ!!!」

 

と本物のロケットかというくらいの凄まじい音と、オレンジ色の書道の筆のような形の炎を勢いよく噴射口から吹き出し、あっという間にはるか上空に飛んでいき、鉛色の空に吸い込まれて見えなくなってしまった。経営者が「おー、まっすぐ飛んだね〜」と見上げながら呟いた。聞けば200メートル以上飛ぶらしい。しばらくしてパラシュートらしきものが見えてきたので落下地点を予測してダイビングキャッチにトライしたが、10メートルほどの高さで風がスーッと吹いていたずらをして明後日の方向に飛んでいってしまい、おまけに長靴の片方も脱げて代わりに雪解けの水たまりにダイブをしてキャッチを仕損なってしまったが、まさかここまで飛ぶとは思っておらず大いに感動したことは言うまでもない。

 

入社してからインターンシップの時の話になった時、「あのペーパークラフトでみんなの力を見ていたんだよ」と告げられた時は心底驚いた。上述のようにペーパークラフトは様々な力が要求される。ペーパークラフトを作らせれば人間がわかるんだと言われたが、私は今でもこれは不変の真理ではないかと思うくらいである。

 

中のC型エンジンこそ空港の検査で引っかかるので持ち帰ることは叶わなかったが、ロケット本体はしっかり持ち帰っており、今でも押入れの箱の中で眠っている。

 

あれから10年近く経ち、実に落ち着きのなかった私にも多少の堪え性が身に付いてきたようであり、もう少し道具を揃えてより質の高いペーパークラフトを作ってみたいと自然と思えるようになってきたので、あの時やっていたことはどうにも無駄ではなかったようである。

 

(おわり)