発達障害もち薬剤師の随想録

発達障害を併発する薬剤師である筆者が、ADHD気質からの多くの経験から思う事をASD気質で書くブログです

子供の頃に子供をやる

先日遠出をした時、足元を身体の一面が赤いベンケイガニがイソイソと歩き回っていた。実家にいた時はクロベンケイガニとアカテガニしか見たことがなかったので、図鑑で見たことはあったが本当に赤いんだなとひとしおの感動を覚えた。

 

先日ネットニュースの中のコメント欄に興味深いコメントを見つけた。何でも地頭を良くするには小さい頃から地頭の良い子らが通う塾に通わせる必要がある云々と、そのために年間50万円程度払わないといけないなどという内容であった。

 

孟母三遷の教えという言葉もあり子供の教育には環境がとにかく重要であると昔から言われてはいるが、これは根本的に何かが違うのではないかと思う。

 

私は小学生時代には塾に通ったことがない。むしろ塾に通わせなかった親に感謝しているほどである。

 

子供の頃にやるべきことは、子供、ではないかと考えている。

 

どういうことか、それは遊ぶということだ。

 

何も部屋にこもってゲーム三昧を推奨しているわけではない。しかし、これもゲームに対する取り組み方次第では変わってくるのだが。

 

私が小さい頃はインターネットが身近になかった。ゲームも小学生の頃には買ってもらえなかったし、携帯電話もパソコンもましてiPadのようなタブレットのような高度な電子機器類は一切身近に存在しなかった。せいぜい、テトリスやたまごっち程度である。

 

だからこそ、身近な自然こそが私にとっての遊び道具であった。セイタカアワダチソウの茎を支柱にして、田んぼの稲わらを集めてきて被せて基地を作った。稲の根っこは大きくて泥がたくさんついており、引っこ抜いては手榴弾と称して相手の基地に投げ込みあって遊んでいた。冬が来る前に田んぼにトラクターが入って田起こしとは別に土をほじくり返していくのだが、硬い稲刈り跡の稲わらが無数に突き出た状態よりは遊びやすくなるので野球をしていた。しかし、走ろうにも足が土に都度埋まって足場を取られてしまってうまく走ることができない。そうやっていくうちに様々な感覚が鍛えられた気がする。

 

竹の端切れにタコ糸をくっつけて弓を作り、適当な棒切れに切り込みをつけて弓矢を作って飛ばして遊び、

 

泥で団子を作るときは、いかに表面にツヤを出すかにこだわっていた。誰にも教えない表面が虹色に輝くようになる秘密の砂が取れる場所や乾燥場所を皆それぞれ持っていたものである。

 

生き物も遊び相手であった。相手、といっても子供はわりと残酷であるから一方的な「相手」であった。ザリガニを捕まえるのはもちろんのこと、カマキリやバッタなどを片っ端から素手で捕まえていて図鑑と照合していた。ちなみに素手には意味があり、子供は小柄で地面に近いため網よりも素手の方が確実性が高い。たまに毒や変な匂いの汁を指に出されては右往左往し、触ってはいけないものを身体で学んでいった。インターネットが無いので情報源は本のみであり、必然的に図鑑のようなものを多読していた。

 

家には各方面から持ち帰ったいろいろな生き物が溢れていて、よくまあ両親も許可してくれたものだと大いに感謝している。

 

要するに文字通り草一本、虫一匹で遊んでいたわけで、これらから自分たちで遊びを作り見出していたのである。

 

見出す、という能力こそが地頭云々よりも重要な要素ではないかと考えている。今あるもので何がやれるかということを考え出す一連の過程こそ大切なことであり、生涯の宝物になる気がする。

 

先程のゲーム三昧であるが、ただ時間の浪費でダラダラとゲームをするのでは大人がストレス発散のパチンコでやれ5万スッた10万スッたという話と何ら変わりはない。しかし、このボスをいかに効率よく倒すか、いかに早く全面クリアするかを考えるために友だちの家に定期的に集まっては議論を交わし情報を交換し合い、都度実践をしていけばこれは立派な教育になると思う。

 

最近のゲームは課金と称してお金を払えば、楽にクリアできたりするらしいが話にならない。こんなことを子供の頃からやっていれば何も考えずに金さえ払えば何とでもなるという、とんでもない大人が出来上がってしまう。

 

小さい頃、捕まえてきた虫などに対しては時に残酷なこともした。しかし、大人になった今では可哀想でそんなことは全くできなくなってしまった。無論、蚊やゴキブリのような例外はあるが。

 

地頭を良くすることにこだわって高額な授業料を払って塾に通わせることも一つなのだろうが、身近なものから遊びを見出し、実践を通して自分たちなりに何かを掴んでいくこともまた、子供の頃しか出来ない大切なことではないだろうか。