発達障害もち薬剤師の随想録

発達障害を併発する薬剤師である筆者が、ADHD気質からの多くの経験から思う事をASD気質で書くブログです

ちゃんと食べているか?

全国各地、色んな場所に住むとそこには必ずお世話になった方々がいらっしゃって、元気にしていらっしゃるだろうかと時折顔を思い浮かべることもある。

 

私はなぜか年上の、それも相当年上の人生の大先輩クラスの方々にお世話になることが多かった記憶がある。反面、同世代にどうにもウケが悪いことは触れないでおく。

 

お世話になった皆さんによく言われたことだが、これが共通していて驚いたのが

 

「ちゃんと食べているか?」

 

という言葉であった。

 

当時の私の身体は痩せ過ぎていて、しかもそれは七儲けの八使いを具現化したような食っても食っても太らない体質であったことも関係しているのかもしれないが

 

お世話になった方々は生まれが戦前かその付近の方々が多かった。「火垂るの墓」の世界そのものであるが、この時代は一部の人を除いて食べ物が無くて難儀していた時代と聞き及んでいる。

 

ある親戚は戦後の焼け野原で背中におぶっている子供をあやすために、アンパンを闇市か何かで手に入れてきて食べさせていると、急に背中が重くなってきて耐えられなくなるほどだったという。慌てて「拝み屋」と名乗る霊感のある人に相談すると「あなたはアンパンなんか、なぜそんなものを焼け野原で食べさせた!?」と怒られ、布切れを渡されてこれで身体を拭いて四つ辻に捨ててこい、その代わりに絶対に振り向くなと言われてその通りにすると身体がスーッと軽くなっていったという。

 

別の親戚からは、進駐軍からバターをもらってきてお湯に溶かして飲むと本当に美味しかったという話を聞いたこともあるくらいで、この世代は食べるという行為に関しては人一倍敏感なのだろうと考えている。

 

父母の世代でさえ、おかずを作る余裕や物がなくて、ご飯の中に梅干し1つの日の丸弁当を持参してきた子供はあまりの恥ずかしさに弁当箱を隠しながら食べていたという話を聞いたことがある。飽食などと言われ食べ物が余るようになったのはつい最近のことであり、決して大昔の話ではない。

 

ホテルで住み込みで働いていたとき、よく宴会を担当した。地方のリゾートホテルなので基本的には高齢者の団体旅行である。各会場に数名のスタッフを置き、机やクロスのセッティングからコース料理の配膳、ドリンクのオーダー取りからカラオケのデンモクの設定までやるのだが、宴会終了後に食器を片付ける作業(業界用語で「さげもの」という)をしていて驚いた。

 

メイン料理だけでなく、ご飯や汁物、デザートまで残しており逆に何を食べたのかという膳があったのである。それも一つや二つではない。年齢も当時で還暦を過ぎた相当に上の世代であるので、終戦付近の生まれだとは思うがその残しっぷりには開いた口が塞がらなかった。病気なら頼まなくてよいし、酒だけは何杯も飲んだ形跡だけは例外なく残っている。プラスチックのザルをバケツの上に置き残飯を放り込んで濾し取っていくのだが、さっきまでご馳走として並んでいた食べ物が一瞬で汚いゴミに変わっていく様子に終始、慣れることはなかった。

 

お金が無い時は、やはり切り詰めやすいのは食費であるのでシワ寄せはどうしても食事にいく。私の場合は麦の比率を下痢しないレベルで極限まで多くした麦飯に冷凍庫に大量に放り込んである納豆を冷蔵庫で解凍したものをかけ、残った飯に卵をかけて卵かけご飯として毎日食べていたことがある。

 

こういう時はカップ麺を思い浮かべる人が多いが、カップ麺はカップ代のコストの関係で値段が張るので同じ買うなら袋麺であろう。カップ麺をよりによってお金が無い時に食べるなど考えられない行為である。しかも麺類は異様に早くお腹が空くので食物繊維をできるだけ多くした麦飯にしていたのであった。ただし、麦の比率を多くすると食物繊維の影響で下痢をしてしまうので麦を混ぜる量の限度を日々の食事で知っておく必要がある。

 

こういう時につゆだくの牛丼など食うと、ファーストフードの牛丼がたまらなくご馳走に思えてきて幸せな気分にふけっていたものだった。

 

今はありがたいことに、そこまで切り詰める生活はしていないものの、「ちゃんと食べているか?」というお世話になった方々の言葉の重みは常に噛み締めているつもりではある。

 

(おわり)