あれは小豆島のホテルで住み込みをしていた時だったと思うが、従業員の特典と言うべきか福利厚生の一環としてお客さんの入る風呂に入って良いことになっていた。
聞けば有馬温泉など従業員は入らせてもらえず、粗末な従業員用の風呂に放り込まれたと嘆いている人に出会ったこともあったので決して当たり前の処遇ではない。
身体を洗っていると私をじっと見つめるオッチャンがいる。ああ、やばい。そっち系の人なのかなと勘繰って大事な所を隠しながら洗っているとなんと話しかけてきた。
「いや〜、身体を素手で洗われていますね??」
「え??? そうですね・・・」
そういえばタオルの洗濯と乾燥が面倒くさいので、いつも備え付けのボディソープを身体に適当に塗ったくって洗っていた。かといって従業員であることを無闇にさらすわけにもいかないので
「いや〜、部屋にタオルを忘れまして・・・ハハっ」
と適当にごまかすと彼は、
「実は私は温泉ソムリエの資格を持っているんですが、身体を洗う時に垢すりでゴシゴシこすると良くないのでツウは身体を素手で洗うんですよ。お若いのに素晴らしい方だな〜と思ったんです。」
いや、実に紛らわしいことこの上ない。ほっと一安心である。
温泉ソムリエなど聞いたこともなかったが彼はよほど感動したのか、正しい露天風呂の入り方や最後に源泉を浴びてから出ることの重要性、浴衣の意味など事細かく教えてくれてその後の温泉利用に役立ったことは言うまでもない。
あれは某県のリゾートホテルだったが、これは大浴場の営業時間外の夜11時以降なら従業員は使用して良いことになっていた。
現地で仲良くなった人と仕事上がりに入りに行くと、営業時間外であるというのに後から男性2人が入ってきた。
一人はそれはそれはカラフルで豪勢な彫り物が首から下の上半身を覆っていて、ひと目でその筋の人間であることがわかった。年配で幹部クラスなのだろうか、目つきもどことなく鋭い。
もう一人に彫り物はなかったが、常に周囲を警戒していた。せっかくの仕事上がりの風呂なのにとてもではないが全く安らぐことはできず、私は常に入り口を警戒していた。カチコミをかけてきたら石鹸でも投げつけて逃げなければならないなど常に想像を働かせていた。
仕方なく我々は先に上ることにした。頭をドライヤーで乾かしていると、なんと入れ墨をしていない方が追いかけてきて、腕組みをして背後からドスの利いた声で我々に話しかけてきたのである。
「おい、にーちゃん達どこから来た?」
間違いなく単なるコミュニケーションではなく、同業他社(?)ではないかと勘繰ってきている。
隣の連れなど恐怖のせいか固まってしまって終始、言葉が出てこない。仕方がない。従業員であることを明かすとさらに状況が悪化しそうだったので、観光客を装って私が最後まで応対したが、もう仕事上がりの楽しみが台無しであった。こういうこともあるので営業時間外の入浴は全くオススメできない。
思い返せば、風呂に関する思い出などこんなものばかりである。
他にも山程ある。
高校の同級生たちと定期的に飯を食った後は、お決まりの風呂屋でひとっ風呂浴びて帰ったこと
現地の人に、にーちゃん面白いから餅でも食っていけとストーブ直火焼きの餅まで食わせてもらったこと
何度も通って顔なじみになり、引越し前の最後の日に女将さんがドリンクを差し入れてくれたこと
真冬に高原の露天風呂で友人と談笑していたら、髪の毛が凍ったこと
本当にキリがない。
これらの思い出の共通点を探ると
常に人がそこにある
ということではないかと思う。泉質云々ではなく、人が何かしらの形で絡んでいるものしか本当に覚えていない。
裸の付き合いという言葉がある。
赤ちゃんから総理大臣まで、風呂の中においてはどんな人でも裸である。
否応なしに人は風呂によって裸にされ、身を守るものや着飾るものが一切ない生まれたばかりと同じ状態になってしまう。
風呂を介するコミュニケーションは、他のシチュエーションと比して何かが違うことは多くの人が気付いていることだろう。
人と風呂とは太古の昔より切っても切り離せない関係性なのだ。
やはり人というものを一番大切にしなければならないと自戒しているところである。
(おわり)