ADHD気質なのか20代は一通りの仕事を経験しておきたいと思っていたので、まだやっていないのは販売系だと思い付き、20代後半のときであったが某大型家電量販店で一眼レフカメラの販売スタッフとして働いたことがある。
大きな店へ行けば見かけるNIKONやCANONなどのベストやTシャツを着ているスタッフのことである。
大都市の中心部という立地に加えて人の入りが特に多い土日のシフト、加えて立ち仕事ということもあり脚と体にとてつもないダメージを与えていたが、自分の納得したものを売りたいという性分がそれなりに合っていたようであり、他に替えがたい経験をさせていただいた。
我々は派遣社員的な扱いであり、その派遣元である会社にリーダー的な存在の人がいた。
この人はセールスが天職のようであり、傍から見ていても売ることが本当に上手かった。
私は卒業時に薬剤師国家試験を落ちていたので、この働いていた期間はくしくも国家試験の勉強期間中のことであり、時間が迫っている中で非常に辛い心境であった。
ある日、耐えかねてこの人に相談したことがあった。いつも辛い、やれるだけのことはやっているが正直受かるかどうかもわからない、繰り返しの連続で前に進んでいるのかもわからない、と。
電話口で一息置いて彼の口から出てきた言葉は
「鉛筆と紙を用意して」
であった。
鉛筆はなかったのでシャーペンを用意したが、次の指示は
「ぐるぐると、一筆書きで線を適当に書いてみ」
であった。
指示通りにぐるぐる書いたことを伝えると、彼は「できるだけ長く書いて」と言う。
一面が黒くなるくらいぐるぐると線を書きまくると、彼はこう言った
「書いてもらった線、その場をぐるぐる行き来しているだけに見えるけど、その線を伸ばすとどれだけの距離になると思う?」
「伸ばせば相当な距離になる。つまり、一見するとその場をただ行き来しているように見えるけど実際には相当な距離を動いている。今までやってきたことは無駄にはならないんだよ。」
涙が出た。人を動かす才能もお持ちのようであった。
今までやってきたことは無駄にならないというのは自己啓発本によくあったり、またよく言われることではあるが、あんなものは他人事だから容易に言えるのであって当事者としては非常にもどかしい思いになることが時として、いやよくあるだろう。
しかし不思議なことに、この「鉛筆ぐるぐる一筆書き」表現は同じ内容でも非常に説得力があるように感じるのである。
結果として合格率4割台というありえない低さであり、あまりにも低くて内定辞退が続出したため厚労省が後から「問題としては適切であるが国家試験レベルとしては不適」という文言をつけて一律加点を行うという異例の措置が取られたこの年の国家試験で、自己採点で上位1割に食い込む成績で合格できたのであった。
その影に間違いなくこの方の言葉による強い支えがあったことは言うまでもない。
合格を報告させていただいたかどうかまでは不覚にも覚えていないのだが、本当に感謝している。
10年近く経った今でも時々、ぐるぐると書いてみるのだからその影響力は本当に計り知れない。
(おわり)