発達障害もち薬剤師の随想録

発達障害を併発する薬剤師である筆者が、ADHD気質からの多くの経験から思う事をASD気質で書くブログです

この子たちは特別クラスの子だから、気をつけてね・・・

大学を卒業して最初に勤めた会社では教育事業も行っていた。利益を得るためではなく、経営者の信念に基づいたものでほとんど利益にならないようなボランティアに近い事業であり、これが学校関係者には非常に好評であったようだ。

 

その証拠に毎日、数百人単位の小中高生が観光バスを何台も連ねて会社にやってきた。当然その日一日仕事の手を完全に止めるわけにはいかないが、我々社員は本業の合間を縫って随時ヘルプに入るのである。

 

1日のプログラムは決まっているのだが、最後に屋外で行うプログラムの段階で他の子達とは別行動をしている数名の集団があった。

 

担当教員に耳打ちされたのが、この子たちは特別クラスの子達だから気をつけてくださいと。本当に面倒くさいですよと、そんな心の底の思いが外に出していないつもりでも漏れに漏れまくっていた。

 

気をつけてくださいと言われたので筋金入りの問題児軍団かと思えばそんな雰囲気はない。

 

母方の影響のようで私は「モノ」こそ見えないが、心霊スポットなど「ここはダメだ!」という場所ではその気配は感じることができる感性が備わっているらしい。

 

その感性をもってしても、特に何か危ない雰囲気があるとは到底思えなかったのでそのプログラム中も普通に接していた。

 

終わった後に一人の子供が私にボソッと言った言葉が忘れられない。

 

「お兄さん、優しいね」

 

なんと返したかほとんど覚えていないが、ただびっくりして「おお、そうか、ありがとう」とたしかそんな感じで返したと思う。

 

去りゆくバスが見えなくなるまで手を振って見送るのが恒例行事なのだが、見送った後もこの言葉が頭から離れなかった。あの子たちは普段、いったいどんな扱いを受けているのだろうかと考えこんでしまった。

 

今になって思うのが、それこそ発達障害の子供たちのクラスだったのだろうということだ。

 

私がASDADHDの併発確定診断を受けたのは最近のことであり、10年近く前のこの時は発達障害など頭の片隅にもなかった時期である。

 

私とて社会人生活の中でめんどくさい人間として扱われたことは数知れず、そういう扱いを受けていること、どういう思いでこちらを見ているか大体想像がつくのだが、こんな扱いを幼少期から受ける屈辱など計り知れない。子供たちとて大人が自分たちのことをどう思っているか、子供心ながらに察知しているものである。

 

発達障害の子供たちは普通のクラスにいてはいけない。それは悪い意味ではなく、才能を発揮できる環境にいないと根本的に自信を失ってしまう可能性が高いからである。一旦、自信を失うと取り戻すことは非常に困難であり、下手をするとタチの悪い自己啓発新興宗教にのめり込んで搾取される結果になりかねない。

 

もしかしたらあの子は私の中の発達障害の醸し出す空気を無意識に察知し、話しかけてくれたのかもしれない。

 

小学生だったあの子達ももう二十歳くらい、大学生くらいの年齢にはなっていると思う。そう考えると私など白髪が増えたくらいでほとんど変わっていないが、子供の10年という時間は本当に大きい。

 

あの日あの時あの会社で何の因果か私が彼ら彼女らと関わったことで、せめて前向きに生きてくれていればと切に願ってやまない。

 

(おわり)