発達障害もち薬剤師の随想録

発達障害を併発する薬剤師である筆者が、ADHD気質からの多くの経験から思う事をASD気質で書くブログです

寄付を無言で引ったくる文化

テレビの番組でアフガニスタンの子供が物乞いをしていて政権が変わってから、もらえるお金が減ったと嘆いている様子が紹介されていた。

 

現代日本でこんなことを言えば、乞う方も叩かれるであろうことは想像に難くない。

 

大学生の時にバングラデシュグラミン銀行に個人で申し込んで単身、一ヶ月ほどインターンシップに赴いたことがある。

 

バングラデシュは人口の1割程度がヒンズー教徒と言われているが、イスラム教が多数派であるため文化・慣習としてもイスラム教に基づくものが根付いていることが多い。

 

ところで冒頭で「物乞い」と書いたがキー局のテレビ番組で使っていたので問題はないと思うが、連続で使うと何とも言えない気分になるので以後は"begger"と称することにする。

 

最近YouTubeで見て驚いたが、現在のバングラデシュには吹き抜けの大型ショッピングモールがあり、空港も広くて立派な国際空港になっていた。

 

しかし世界最貧国と言われていた当時(と言ってもわずか10数年程度前のことではある)、ビルなどグラミン銀行とブラック銀行の本店(head office)くらいしかなく、空港には肩から古いライフル銃をさげた警官が送迎の車の出発が遅れる度に、何やら怒鳴りながらその手に持った長い木の棒で思いっきり車を殴りつける光景が当たり前であった。

 

空港はとにかく暗くて静かで狭くてとても首都の国際空港とは思えず、入国審査ではこっちへ来いと手招きするから行けば行ったで現地語でひたすら質問責めにされて何を言っているのかわからない。しかも満面の笑みで楽しそうである。

 

隣の列に並んで審査を終えてまさに去らんとしていた帰国者である現地人のオッチャンが、呆れながら英語でいちいち訳してくれて事なきを得たのであった。

 

入国審査の次はジーパンにTシャツ、裸足にサンダル姿のオッチャンが話しかけて来て「税関(Custom)だ」と言う。ツッコミどころ満載であるが関係者以外は入れないゾーンなのでどうにも本物らしく、さすがに税関職員に逆らうわけにはいかない。

 

中に何が入っているのかと聞くので服とかそんなもんだと答えると、どこから来たんだと言うので"Japan"と答えた。すると"Japanese? OK! OK!"と笑顔で何も問うことなく通してくれて入国することができたという、初っ端から面白い経験ができた古き良き時代であった。

 

話を戻してある日、通りを歩いていると"begger"にばったり出くわした。と言ってもあちらこちらにいるわけで、決して珍しい存在でもない。なぜそうだとわかるのかと言われそうだが、何やら叫びながら両手を交互に差し出して、いかにも「くれ、くれ」と言っているようにしか見えないので誰が見ても"begger"とわかる。

 

ちょうど小額紙幣である2タカ紙幣が余っていたので「どうぞ」と言いながら渡した時であった。

 

彼は急に叫ぶのをやめたかと思えば、パッと私の手から2タカ紙幣を引ったくって無造作にポケットにねじこみ、目も合わせることなく何事もなかったように叫びながら交互に手を差し出して物乞い活動を再開したのであった。

 

これには驚いた。

 

日本のホームレスの方を想像してみるとわかりやすいだろう。ホームレスでなくとも時折駅前などで見かける修行僧の托鉢を想像すればわかりやすいかと思うが、無言で引ったくって活動を再開するなど天地がひっくり返ってもやらないだろう。

 

丁寧にお辞儀をして、ありがとうございますと言うのが日本人のソレである。

 

後で現地人に聞くと、イスラム教の教えでは金持ちが貧しい人に寄付することは当たり前のことであって、当然貰う側も当たり前のこととして受け取るのだという話であった。

 

そして非常に恥ずかしい思いが込み上げてきたのである。

 

2タカ紙幣を無言で引ったくられて呆然とした。呆然とするということは、

 

私はいったい彼に何を期待していたのだろうということだ。

 

本当に寄付をしたいなら見返りなど求めていないので、引ったくられようが何も思わないはずなのに、引ったくられて呆気にとられた時点で私は彼に何らかの反応を期待して2タカ紙幣を渡したことになる。

 

20代前半の純粋な若者であったが、非常に恥ずかしい思いが込み上げてくるのを感じていた。

 

寄付は本当に難しい。欧米人は金持ちが寄付する習慣が根付いているというが、日本では自己責任論があって冷めた目で見る傾向があり、そもそも甘えるなという考え方が大多数と感じるので、災害などの緊急時以外に寄付する習慣が根付くには非常に厳しいところがあるだろう。

 

残念ながら永遠にこの論争は続くであろうし、どちらが正しいというものではない。しかし、この寄付という行為の難しさや奥の深さを20代前半の時に肌身で感じられたことは非常に良い経験であったことに間違いはない。やはり若くて純粋な時期に異文化に触れてショックを受けることは大切であると思うところである。

 

(おわり)