発達障害もち薬剤師の随想録

発達障害を併発する薬剤師である筆者が、ADHD気質からの多くの経験から思う事をASD気質で書くブログです

マキシングテープ

ランニングシューズのミッドソール(衝撃を吸収したりする柔らかい部分)の横を、うっかりしていて2ミリほど削ってしまった。最近の厚底カーボン系のミッドソールはEVAではないので本当にもろい。補修にはわずかなエポキシ接着剤を塗り、マスキングテープを使ってしばらく固定する手法を取っているが、このマスキングテープを見るたびに思い出す人がいる。

 

全国を放浪していて小笠原諸島にいた時に、とある宿に住み込んで働いていたことがある。

 

半日ないし一日、宿のツアーなどの仕事を手伝えば宿の二段ベッドの一角を寝床として貸してくれて少なくとも雨風をしのげるのだが、食費などはもちろん自己負担であったから他にアルバイトを2、3掛け持ちしていた。

 

ある日、途中からオジサンが一人、一緒に住み込みをすることになると宿の人から伝えられた。聞けばその人は還暦を過ぎているが毎年この時期になると、ここに住み込みで働いているとのことだった。

 

ダイビングが得意な人でライセンス持ちであり、他に小型船舶免許などを保有していてそういった海での豊富な経験が買われてのことらしい。

 

以後、Hさんと呼ぶことにする。

 

いつもバンダナを頭に巻いていて無邪気な笑顔を時折見せる、いかにも海の男という風格で癖のある本当に面白い人だった。加えて酒が入ると決まって話が長くなる。

 

ある時、アルコールが入って例の如く真っ赤な顔をしたHさんが「Kちゃん(私)、もやい結びできっか?」と聞いてきた。いや、できませんと素直に答えると

 

カヤック乗りが、もやい結びもできなくてどうするんだ! 一回だけ見せてやるからよく覚えとけ」と言うなり近くに落ちていた細いロープを机の足にパパっと、文字通り目にも留まらぬ早業で結びつけたのであった。

 

「いや、速すぎてわからないよ!」と言ったが、Hさんはさらに続けて「いいか、このもやい結びの他に、巻き結びと錨結びも大事だ。この3つは必ず覚えておくんだぞ」とあまりにしつこくのたまうので、この3つだけは練習することにした。

 

早速、もやい結びをYouTubeで調べた。こういう場合は静止画の図解よりも実際に手を動かす動画の解説の方が圧倒的にわかりやすい。当時のYouTubeは今と違ってほとんど情報源になり得ない動画ばかりであったが、何とか「わかりやすい、もやい結びの結び方」なる動画を見つけ出して練習し、彼に見せに行った。

 

Hさんは、開口一番「全然ダメだ」と首を横に振った。

 

「え?? だって、一番再生回数が多いやり方だよ」と反論すると、「じゃあ、そのとおりに結んでみな」と言うので結んでいると、いきなりロープを引っ張ってきた。あっと言う間の出来事で、せっかく途中まで出来ていたもやい結びが完全にほどかれてしまった。

 

「ちょっと、何するの??」と驚いた顔を返すと、彼は静かに

 

「いいか船ってのはな、常に揺れているんだよ。揺れている船でそんな結び方をしているとあっという間にほどけてしまう。こうやって結ぶとな、揺れている船でも対応できるんだ」

 

と言いながら、どこにも載っていない独特の結び方を教えてくれた。

 

これが非常に実践的で確かに揺れていても対応できるし、むしろ揺れを有効に使って結ぶことさえできる。彼への尊敬の念が増したことは言うまでもない。

 

宿のツアーの手伝い、例えばシーカヤックツアーは参加者のライフジャケットを準備したり洗ったり、人数分のパドルを用意したり、浜からの出方や戻り方をデモンストレーションとして見せたり、しんがりを務めて「そっちは岩場があるから行かないでください」などと後ろから言葉をかけたりするのだが、別の海岸に上陸してそのまま陸のツアーに移ったりする。

 

そこで、参加者のカヤックをできるだけ陸(おか)の奥の方に上げるのだが、私は言われこそしなかったが、いつも念の為に自動車のサイドブレーキのような感覚で、根っこを張っている立木にカヤックに付属しているロープを例のもやい結びを使って結びつけていた。

 

ある日、陸のツアーから帰ってくると潮が想像以上に満ちていて、あろうことかさっきまで砂浜だったところが海になっており、プカプカとカヤックが浮かんでいた時は、心底Hさんに感謝したものであった。

 

夕方、空もすっかり暗くなった頃に宿の屋外にある別棟のキッチンでくつろいでいると、Hさんが息を切らしながら駆け込んでくるなり

 

「Kちゃん、俺見たんだよ、UFO!」

 

UFO!?

 

そう、いわゆる「未確認飛行物体」、空飛ぶ円盤のことである。

 

それも興奮しながら叫ぶものだから、ああ、また酒を飲んで酔っているなと思い

 

「また、酒飲んでるでしょ」

 

と言うと「いや、俺、本当に見たんだよ!」と真顔である。

 

同じくキッチンにいた別の人が「うん、あそこはUFOが来る神聖な場所だよ」と真面目に解説するので私にも急に好奇心が湧いてきた。後で知ったことだが、島でのUFO目撃証言は多数あり、だいたい来る場所が決まっているらしい。

 

UFOが来る場所が神聖かどうかはさておき、建物の横に強風対策でいつも壁に寄りかけている愛車、自転車ポデローサ2号を起こして大忙ぎで立ち漕ぎをして、HさんがUFOを目撃した場所に向かった。

 

20分近く、周りに明かり1つない小笠原諸島の静寂の闇の中で必死に目を凝らしてがんばったのだが何も見えない。

 

諦めて帰って来て「UFO、見えなかったよ」と報告すると、Hさんは無邪気に「心のキレイな人にしか見えないんだよ」と笑っていた。

 

ツアー以外にも宿の掃除や修繕なども重要な作業の一つであった。私が町工場にいたこともあって、お互いに工具は使い慣れているものだから作業もやりやすい。ある日、Hさんと作業していると

 

「おいKちゃん、マキシングテープ取ってくれ」

 

とハシゴの上から声がする。何それ?と首をかしげたが、もしかしてと思い

 

「マスキングテープじゃない?」と答えると、「おー!それだよ、マキシングテープ!」と返ってくる。笑いながら渡していたが、宿を去るときまで、ついぞマキシングテープが訂正されることはなかった。

 

私はこの翌年に薬剤師国家試験に受かるのだが、「Kちゃん、国家試験受けるなら今が最後だと思うよ」と背中を押してくれたのは他でもないHさんであった。

 

帰り際にベッドの柱に、ロープの片方は巻き結びにしてもう片方を錨結びにして結びつけておいた。錨結びはもやい結びが基本であり、Hさんなら意味を分かってくれるだろうと期待して。

 

島を去る時に、「オレはしみったれるの嫌いだから、波止場に見送りには行かないよ。今までありがとうね。」とよく屋外イベントなどを催していた宿の庭先で握手をして別れたきり、彼には会っていない。

 

もっとも声だけは聞いている。島を去った翌年、国家試験に無事受かりましたと島でボランティアをさせて頂いていた農園に報告の手紙を書いたら、愛情こもったお手紙とともに、たくさんの島野菜が送られてきた。どうお礼をしようかと迷っているうちに、恥ずかしいことにお礼をし損なってしまっているのだが、これはいずれ直接島に行ってお礼を言いたいと考えている。

 

それはさておき、この島野菜が送られてきて間をおかず、あれは保健所に薬剤師免許を受け取りに行った日の帰りであったが、スマホに電話がかかってきた。見慣れぬ番号であったが出ると、声に聞き覚えがある。あれ?Hさんじゃないかと思って聞き返すと、そうだと答えるが、相変わらず少し酔っている様相であった。

 

国家試験受かったこと聞いたよ、と。昨年のことを懐かしく思い、他愛ない話を色々とした。聞けば今ヨットを作っていて、数年したら内地に行く予定だと言っていたがそれっきりである。色々あって私が電話番号を変えてしまっていることにも起因しているのかもしれないが。

 

ランニングシューズの修繕を終えて手元にある黄色いマスキングテープを眺めていると、「おい、Kちゃんマキシングテープ取ってくれ」という声が今にも聞こえてきそうな気がしてくるのであった。

 

(おわり)

 

<参考記事;ポデローサに関して>

hattatsu-yakuzaishi.com